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概要

KentaiNEWSvol221

07大教員として「運動器外傷学研究室」に所属しています。学校という教育の現場に身をおくには、実はもう1つ理由があります。それは、人材育成に関わるためです。スポーツ医科学の世界は、メディカル、フィジカル、栄養といった各分野の専門家がそれぞれのフィールドで活動することが常でした。しかし、選手の競技生活をサポートする立場から彼らの”幸せ“を考えるとき、すべてのジャンルに精通したトレーナーが近くにいることが一番なのでは、と考えに至りました。あらゆる知識をもつ者が一人でもサポートに入れば、リハビリをしながらフィジカル強化のトレーニングに取り組むことができますし、トレーニングをしながら栄養について学ぶこともできます。知識の窓口が一本化されることで、それだけ競技に集中できる時間も増えるというわけです。といった想いから現場と並行して研究や学びを続けてきましたが、私一人だけでは限界があります。志を同じくする専門家が増えてこそ、より多くのアスリートや一般の方々がよバズーカ岡田の筋肉学り上質なスポーツトレーナーとめぐり逢える。そのためには、やはり人材育成が必須だったのです。より多くの人材を育て上げるためには、まず私自身が学生たちの心をひきつけ、動かせる存在でなくてはなりません。若者に夢を与えるためには、付加価値が不可欠です。それが五輪への帯同や、書籍などの出版をはじめとしたメディアへの露出というわけなのです。それぞれにおいて私が特に意識していることは、学生たちに”生きる姿勢“を見せること。なかでも、ここ2年間のボディビル競技トップレベル戦線への挑戦には、大きな意味がありました。私は今年、10月9日に行われた「日本男子ボディビル選手権」に2年連続で出場しました。ボディビルの日本一、通称「ミスター日本」を決める大会であり、当日のステージ上では国内最高峰の戦いが繰り広げられます。綿密な計画の下、緻密なトレーニングを積み重ねて鍛え上げられた美しすぎる肉体は、私のような者からしたら、もはやファンタジーの領域なわけです。社会人大会で優勝し、日本選手権への切符を手にした昨年は、記念受験のような意識でいました。社会人代表というプライドはあれど、どこかで「勝てるわけがない」とも思っていました。自分が出場する日が来るとは夢にも思っていませんでしたし、なんといっても戦う相手は別世界に生きる人間なわけですから。ところが、1次予選を勝ち上がって前年度ファイナリストたちも加わって行われる2次予選の場で、比較審査に2度も名前を呼んでいただくことができました。先に進むことはできませんでしたし、そこには分厚い壁があることも実感したのですが、トップ選手と肩を並べたことで「もっとこうしたら勝てるのでは……」という思いが湧いてきたのです。ファンタジーだと思い込んでいた世界が、少しだけリアルに感じられた瞬間。同時に、そこで感じたリアルさを本当の意味での現実世界にするためには、並大抵でない努力を己に課す必要があることも肌で感じつつも「絶対に詰められない距離ではない」と思えました。これは日本選手権に出場していなければこの先、一生出会えなかったであろう自分自身に見出した可能性です。そこからの1年間は、緊張感がこれまでとはまるで違いました。期待に応えたいという思いもありましたし、結果を残すことが自分へのご褒美というか、これまでの取り組みは間違っていなかったという肯定感を得られる唯一の手段だと感じていたからです。とはいえ、向こう側への道のりは思った以上に険しかったです。遠くはないけれど、近くもない距離感。結果は昨年と同じ、2次審査敗退でした。悔しいです。精一杯やったから悔いはありません、とは言えません。しかし、この歳になって「頑張ればなんとかなる」と思えた経験は、代え難い財産になったと自信をもって言えます。そもそも心ができると思わなければ、脳は指令を出しませんし、カラダは行動しません。私にとっての行動スイッチは、初出場時の2次審査で名前を呼んでいただいたこと。そして決勝にむけて1票を投じてくださった方がいたことにありました。ここから感じるのは、無謀のように思えることでも挑戦を試みて体験することで、自分の可能性は一気に広がる、ということです。そして自分の可能性を信じて、日々を積み重ねることでしか道は開けないのだということも。1年間、ハードなトレーニングを教え子とともに乗り越え、成長をしてきました。教員という立場にいると、過去の経験をもとに指導しがちですが、現在進行形でチャレンジをしているという生き様を見せることで、彼らの心と脳とカラダを突き動かしてきたという自負があります。このようにして、私自身の活動に”輝き“をもたせることが、同志を作ることにもつながり、ひいては日本の元気を作ることへと広がっていく。つまりは、私の活動のすべてが集約されているのは、実は教育の現場ということになるのです。長々とお付き合いありがとうございました。次回からは、バズーカ岡田視点で骨格筋関連のホットなニュースを、よりわかりやすくお伝えしていきたいと思います。ところで、どうして呼び名が「バズーカ」なのかというと……それはまた、別のお話ということで。Mitsuru OkabecMitsuru Okabec