ブックタイトルKentaiNEWSvol223

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概要

KentaiNEWSvol223

吊るし雛や観葉植物、木のぬくもりが感じられるアットホームな店内K秘訣かどうかは分かりませんが、人間、明日はどうなるか分かりません。『今日を精一杯生きる』ということがまず一番大切だと思ってます。トレーニングは辛くて、嫌いだけれども、今日ここへ来てやれない理由がないなら『懸命にやろう』ということでしょうか。そうしているうちに50年という日々が過ぎて行きました。現在は郵便局を退職し、以前ジムがあった場所で「きっさこ」という喫茶店をご夫妻で経営してらっしゃる。インタビューのあとで、角田市に移動し「行=トレーニング」を拝見させて頂きました。この日は「A:胸・背中」「B:肩・腕」「C:脚」という3分割のAの日でした。そのトレーニングはまさに「行」という感じで、インターバルは30秒程度、どんどん心拍数は上がり「筋肉を鍛える+カラダ全身と精神を鍛える」という感じでした!「その日一日を精一杯生きる!!」という信念のもと「行=トレーニング」を行ない、カラダと精神を鍛えることに「元気の源」があるように感じました。ありがとうございました!ムがあり『それならば行かねばならない!』ということで夜な夜な研修所を抜け出してそのジムへ行ったんですよ。年が明けて2回目の研修が行われ、そのときにもやはり藤原ジムへ顔を出しました。すると、そこで『君、いいカラダしてるじゃないか。今度の東北大会に出たらどうだ?』と声を掛けて頂いたんですよ。嬉しかった反面、大会というものの存在も分からなかったので、右も左も分からない状態で出場しました。これが人生初めての大会出場です。そこで10位になり、その後開催された宮城大会にも出場して3位に入賞しました。地方大会で3位までに入賞すると全日本大会への出場権が得られるので、大阪で開催された全日本大会、いわゆるMr.日本にも出場しました。ちょうど、その年は杉田茂さんが優勝した年で、彼を見て『人間とは思えんな』と感じました!M通販で買った器具でトレーニングに励んでいた菊池選手が、ひょんなことからMr.日本に出場してしまい、打ちのめされてしまったのですね!ちなみに、減量などはどうされたのですか?Kその頃はね、減量という概念がなかったね。僕も若かったし、脂肪のつくタイプではなかったから普段のトレーニングしている延長で出場するという感じでした。ただし、日焼けはちゃんとしましたね!M懐かしの良い時代という感じですね。それで、その後はどうされましたか?K『人生何事も諦めてはダメだ』と思い、地道にトレーニングに打ち込みました。お陰様で73年、74年と宮城の大会で優勝することが出来ました。やはり東京、大阪といった大都市には凄いビルダーが沢山いましたので『地方でも頑張レートを鉄の棒につけてトレーニングしていました。教科書も何もないですから、最初は重量挙げのようなことを真似していましたね。そして、高校2年生のときにアルバイトで資金を貯め105㎏のバーベル・ダンベル・ベンチのセットを通販で購入して、それに付録としてついてきた小冊子に出ている種目を見て参考にしました。Mトレーニングは、15歳で始められて50年!半世紀になります。これはとても凄いことですが、それにも増して驚くのが大会出場歴が45年以上になることです。最初の大会が1972年の東北大会ですが、どんなきっかけで出場に至ったのでしょうか?K僕は農家のせがれで、姉が二人いますが、長男として実家を継ぐように言われていました。また、高校3年生のときに父親が他界したこともあって、大学への進学は諦めました。しかし、高校の先生が公務員の試験を受けるように促してくれ、たまたま欠員が出ていた地元の郵便局員として働ける運びになりました。そして、新人研修が仙台で行われたのです。仙台には『藤原ジム』(現日本ボディビルフィットネス連盟会長のジム)という県下には名の知れ渡ったジれば良い選手になれる』という信念のもと、ここ宮城で切磋琢磨する日々を送りました。そして、1979年にはA BBFのMr.アジア・ミドル級2位、81年は環太平洋・ミドル級2位になりました。84年からは全日本選手権にも挑戦を再開し、最高位は87年の2位です。活力の源は「行」Mその全日本では約10年間ほぼ連続で出場、その後も日本クラス別やマスターズに舞台を移して現在も現役で出場し続けていらっしゃいます。菊池選手が大会に出場し続け、そしてトレーニングもやり続けている、その活力の源はどこから湧いて来るのですか?」K僕自身も『なんでだろうな』って思うんですよ。僕は『行』だと思っているんですよ。『苦行』とか『修行』とかの『行』ですよね。『好きだから毎日やっているんでしょ』って言われますけど、トレーニングが嫌いなんです。なぜ嫌いかっていうと辛いから。インターバルを短くして、詰めてやっていくと辛い。辛くて嫌いだけど、やっちゃうんですよね。インターバルも長くとって、楽にトレーニングをすれば『好きです』ってことになるのかも知れないけれども『なるべく辛いようにやる』っていうのが僕の身上なんだよね。人生に置いてもそうですけど、『辛い方を選ぶ』って言うのが僕の生き方なんです。M『辛い方を選ぶ』…耳が痛いですね。カラダを鍛えるだけではなくて、精神も鍛えているんですね。最後に、半世紀に渡り続けてらっしゃる秘訣があればご教授願えますか?●岡部みつる(文・写真)東京都出身20歳過ぎでボディビルに出合い池袋にあるジムへ通う。昭和の終焉に「本場でトレーニングしたい」と決意し渡米。20年間アメリカで暮らす。在米中はリポーター、そして写真家として活躍、93年にはマスキュラーデベロップメント誌のチーフ・フォトグラファーとして年間契約。96年から始めたビデオ「オリンピアへの道」は選手から「大会自体よりもこのビデオに出たい!」と評判に。2008年に帰国し現在は静岡県内の山中に暮らす。1992年Mr.ロサンゼルス・ライト級優勝。元気の源都会のジムにも負けない設備が揃う昔ながらのマシン類もありトレーニング歴が長い人には懐かしさも感じられるだろう11