Kentai NEWS
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最後に、心配して死の淵からの生還で全細胞が生まれ変わった?!いて失神の手前まで行く感じだった。このまま死んじゃうんじゃないかと思ったね。GM:そもそも「入院が間違っていた」という考えですから、退院後「落ちた筋肉を取り戻すぞ!」っていう感じで少しずつ始めました。私は日本選手権も止めた方が良いと思ってましたが、本人が頑張っているのを見ると、とても口には出せませんでした。見守るしかありませんでしたね。M:苦しい時が続いたんですね。その後、どうされましたか?G:まずはベンチプレス。感染前はしか挙がらなかった。通常の状態でも酸欠で失神しそうだから「これはマズい!」と思って、5分のウォーキングから始めることにしたんだ。GM:必ず一緒に付いて歩きました。徐々に調子が良くなってきたので効果はありましたね。G:最初は少し歩いて、徐々に距離を伸ばしていったんだ。でも、ウォーキングの時間を延ばしても負荷が強くならないと人間のカラダは慣れちゃうんだな。もっと強い負荷をかけないとダメだと思って山を登ることにしたんだ。隣町に栗ケ岳っていうかなり急勾配なハイキングコースがあって、そこへ行ったんだ。山頂までは登れなかっ160kgでやっていたものが95 kgたけど、途中まで登ったら翌日にはかなり調子が良くなった。「肺が息を吹き返した」っていう感じかな。その頃は意識が遠のくことが多かったんで、そういう時にはいつも自分に「戻ってこい!」って語りかけてたんだ。毎日が死と背中合わせだったんだよ。M:2022年の日本選手権などに向けては如何でしょう?G:一度死にかけたことで「カラダの中で何かが覚醒したのかな?」って感じているよ。未知のウイルスと戦って「絶対に戻してやる!」っていう強い気持ちを持つことができたんだ。それが大きかった。今の俺を見た人は口を揃えて「本当にコロナに罹ったんですか?」って、いうんだ。でも、実際に死ぬ思いを経験してるんだよ。GM:補助の時、ネガティブをかけた時の押し返す力は元に戻ってると思います。前回の狭窄出口症候群を発症した時も同じように使用重量が落ちましたが、戻すことが出来ました。主人には「ここからでも良くしよう!」という気持ちの方が勝っているので、今回も出来ると信じています!M:退院されてから薬はどうされてますか。また、サプリメントは?G:病院で処方された薬は体調が戻ってきて以来一切摂ってない。サプリメントに関してはBCAAとかは朝起きた時や空腹時に結構な量を摂るようにしている。付属のスプーン山盛り5杯をお湯に溶かして飲んでいるよ。摂っている品目は変わらないけど、量は普段より多くしている。吸収の良いものをサプリメントから多く摂るように心掛けている。GM:カラダが一度死んでしまって、そこから生き返ったような感じはしますね。⽪膚感や筋量が、コロナ前より若返ったように見えるんですよ!M:同感です! いるファンに一言お願いします!G:日本選手権を欠場してみんなにご心配お掛けしたけれど、なんとか復活して、今まで以上のカラダで皆さんにお会い出来ればと思っています。今後もよろしくお願いします!えられた合戸孝二選手ですが、残念ながら日本選手権は新型コロナウイルスに感染した影響で欠場を余儀なくされてしまいました。「還暦」とは⼲⽀が一巡し「出生時に還る」とも言われます。この生死の狭間を彷徨う大病から無事に生還した合戸選手は、カラダの全ての細胞が蘇ったように生き生きとして、前よりも大きく、若返ったかのように見えました。合戸選手の『絶対に戻してやる!』という強い意志が死の淵からの生還を果たし全力での復活劇を演出したのかもしれません。今年の日本クラス別選手権、日本選手権でステージに立つ勇姿はどれほど輝いて見えるのか、とても楽しみです。生まれ変わった合戸選手にご期待ください!!2021年の4月1日に還暦を迎東京都出身20歳過ぎでボディビルに出合い池袋にあるジムへ通う。昭和の終焉に「本場でトレーニングしたい」と決意し渡米。20年間アメリカで暮らす。在米中はリポーター、そして写真家として活躍、93年にはマスキュラーデベロップメント誌のチーフ・フォトグラファーとして年間契約。96年から始めたビデオ「オリンピアへの道」は選手から「大会自体よりもこのビデオに出たい!」と評判に。2008年に帰国し現在は静岡県内の山中に暮らす。1992NPCM●岡部みつる(文・写真)r.LAライト級優勝 .. **本⽂の内容は、合戸選手の個⼈的な⾒解であり、新型コロナ感染症による医療や投与された薬品を否定するものではありません。11『絞ってみないとわからない』と本⼈は謙遜するが、調⼦が良くなったのは明らかだ!元気になった合戸ご夫妻が、仲良くお蕎麦を食べる!合戸 孝二 (ごうど こうじ)1961年4月1日静岡県生まれ60歳にしてなお進化を続けるボディビル界の鉄人。バルクで世界の選手と渡り合って来た数少ない日本人バルク・タイプ・ビルダー。1999年世界アマチュア選手権70㎏級4位。2005年、2007年~2009年の計4回日本選手権で優勝。2011年アジアボディビル選手権70㎏級優勝。Cool aging

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